釣りが趣味の叔父は飽きっぽい性格。
さらに形から入るタイプなので、趣味で使う道具は結構いいものがあります。
飽きてしまった釣り。
ほこりを被らせるようなら買い取りしてもらったら?と言ったら、
すべて丸投げされました・・・(苦笑)
ネットで調べてみたら、買取相場が比較できるサイトがあったので
ロッド買取を比較…ヒット数は少なかったのですが、
それでもいくつか比較できたのでロッド買取をお願いしようと思っております!
水漏れのトラブルを早期に解決するためには、
信頼度の高い専門業者にサポートを依頼することが欠かせません。
禁煙では、キリスト教の分裂について、
多種多様なメディアでピックアップされることがありますが、
少しでも分からないことがあれば、色々な情報を仕入れることが良いでしょう。
人気の高い専門業者の選び方をマスターするには、
ある程度のテクニックが必要となることがあるため、
同じような立場の人からアドバイスを受けることで、
何時でも冷静に行動をすることがおすすめです。
また、水漏れの対処法について迷っていることがあれば、
顧客サービスの優れている業者のパンフレットやカタログなどを
参考にすることが重要なポイントと言えます。
キリスト教は、ただ一人の神様しか信じてはならない『一神教』。
『なんでも屋』の『なんでも』という理念とは、相容れない何かがあるのではないでしょうか。
とは申せ、キリスト教の歴史を辿って行くと、母胎ともいうべき宗教は、
どうやら多神教らしい…と気付くはずです。
『分裂』というより、そもそも最初から、幾通りかに変化してゆく要素を持っていたと考えられます。
大抵の日本人が抱いている『敬虔なクリスチャン』のイメージは、
主に厳格なカトリック信者と思われますので、『絶対的な一神教』というイメージも、
その辺りから来ているのでしょう。
最近知って驚いたのが、『クリスマスツリーのモミの木は、厳密にはキリスト教由来のものではない』
ということです。
イエスが生まれた地域では、そもそも針葉樹モミの木は無く、
あれは『北欧の門松的なもの』が後世のクリスマス行事に、
徐々に馴染んで行ったものなのだそうです。
また、クリスチャン校では、ハロウィンは『悪魔の行事』として禁じられています。
けれど子どもたちにとっては、欠かせない楽しいお祭り…。
学校の外では大丈夫ということで、こっそり参加しているようです。
建築を勉強していると世界の建造物や施工図を片っ端から見たくなるようで、
建築士の友人はことあるごとに教会や聖堂の施工図を見たがります。
つい私も施工図を見つけると友人に知らせるようにインプットされてしまって、
歴史的建造物の施工図に詳しい人になっているかもしれません。
施工図からはさまざまな時代背景が読み取れるようで、
施工図を見ながらの解説が面白いので私もせっせと集めるわけです。
今度許可を得たら記事にしようかと思います。
嬉しいニュース!世界遺産に「長崎教会群とキリスト教関連遺産」再推薦決定とありました!
日本のキリスト教を語る上では欠かせない国内最古の教会「国宝の大浦天主堂」と長崎教会群。
それが世界遺産再推薦決定です!今度こそ登録となる事を願うばかりです。
そんなニュースでキリスト教の研究仲間と話をしていたらら、
友人はお医者様に「糖尿病に認定されました」と自虐的に教えてくれました。
確かに食べることが趣味でもある友人なので、ちょっと納得してしまいましたが、
まだ軽度であるということで、しっかり体調管理と適度な運動を習慣づけるべく、
生活改善してるとの事。
病気は軽度であるうちにしっかり対処していきたいですよね。
友人よ、糖尿病にまけるな!
代替品が、なかなか利かないのが歴史など長年培ってきたもの。
「教義がなんだかわかりづらいから」と、給湯器交換などのように
メーカーに問い合わせて簡単に交換できるものではありません。
JPOPではないですが、オンリーワンでなければなりません。
しかし、人間のおぞましい本分で、
甲乙をつける、人の上に立つ、人の下につきたくない、自由でいたい等々、
本来教義とは関係ないことから、道を別つことが往々にしてあります。
またもやJPOPで申し訳ありませんが、
オンリーワンは極論すれば交わらないもの、みんながオンリーワンの世の中で、
手を繋ぐことはあり得ないとも言えますね。
宗教、JPOPに限らず、問題のそもそもを辿ることは疎かにしてはいけないのです。
クラシコの白衣を出すまでもなく、結局白黒つけたいのが人間なのだと思うのです。
白衣がグレーでは白衣でないように。
突き詰めればどの宗教も人に優しくを説いているのに、
宗教家でさえ他の宗教者を糾弾しています。
さらにいえば、同じ宗教内でも揉めるのですから、滑稽と言わざるを得ないでしょう。
キリスト教もイスラム教もヒンドゥー教も仏教も初期の言葉では今に伝わらないからと、
言説に落とし込み、普及させその結果、分裂するという現象が見れます。
普及が悪いのか、アレンジが悪いのか、どこかで誰かのエゴが介入し、
その結果そのエゴを受け入れることができず分裂するでしょうが、
そもそも時代によってなぜ言葉って変わるんですかね。
不思議ですし、何かしらの力を感じざるを得ないと思うのは私だけ?
ベータとVHSのいわゆるビデオ戦争がありますが、
宗教の争いも要はこれと一緒だと思っています。
キリスト教のプロテスタントとカトリックに限らず、
仏教でも大乗や小乗、さらに言えば密教。
今ある宗教は様々な括りを設け区分を分けています。
何故かというと、私が思うに都合が悪いからだと思うのです。
生活に宗教を取り入れる時、捨て去るものが出ますが、
どうしても捨てられないものがある、でもそれでは救われない訳で。
ベータとVHSもやっていることは同じですが、
ダブルスタンダードは両者にとっては都合が悪いのです。
とはいえDVD買取など隆盛の時代、両者はもうおらず、
宗教も同じようなものでなければいいのですが。
キリスト教に限らず、宗教は時代が経つごとに分化していきます。
私は正直エゴ以外のなにものでもないような気がしているのですが、
昔の言葉が、そのまま現代で伝わらないように、
ニュアンスや時代背景の影響で分化を余儀なくされたということもよくわかりはするのですが、
それでも…と思ってしまいます。
突然、話は変わるようですが、カラコン通販を見るとひどく種類が多いことが見て取れます。
色はもちろん、円の大きさ、線の入り方だったり、パッと見同じじゃないか、
どれでもいいではないか、と思うのですが、
これらを選び取る人には全く別のものに見えるのだと思います。
もとをたどれば同じでも、伝え方は千差万別。
それはいいことなのか。